愛知県豊橋市立牟呂(むろ)中学校の野球部員は、日曜日になると、「牟呂ベースボールクラブ(BBC)」の一員になる。メンバーはほぼ同じだ。クラブの設立は03年。今年初めて、チームの出身者が同じ東三河地区にある成章高から甲子園出場を果たした。
豊橋市の中学校では02年から部活動が制限され、大会など特別な場合を除き、日曜日は通常の練習や練習試合ができなくなった。「子供を地域に還す」という方針に加え、教員の負担を軽減する利点もあった。そこで月曜日から土曜日は部活動、日曜日は地域クラブで活動、という方向性が示された。
牟呂BBCの設立にあたったのは、監督に就任した山本隆仁さん(48)ら牟呂中出身者3人。トヨタ自動車の軟式野球部長も務める山本さんは中学時代、野球部が廃部になった経験がある。「グラウンドが狭いとか先生の都合とか、いろんな事情があったようだ。私はサッカー部に移ったが、あの時の悔しさは忘れられない。今の子どもたちにあんな思いはさせたくない」
野球部の顧問を務めるのは社会科の伊藤勝美教諭(41)だ。「自分の子どもが小学校6年生と3年生。以前は日曜も部活で忙しく、家庭で子どもと触れ合う時間は少なかった。今は地域のクラブに指導をお願いできるので、ゆとりができた」
当初は部活動との指導方法に食い違いもあった。山本監督は「選手との距離もあった。選手はそれまで先生との関係で野球をやってきた。急に地元のおじさんが来て監督と言われても、という雰囲気だった」と振り返る。
溝は次第に埋まっていった。土曜日は部活動だが、山本監督らクラブの指導者も練習に出て伊藤教諭らとコミュニケーションを図る。「今はサインも技術に関する考えも同じ。いつも先生とすり合わせている」と山本監督。大会日程が重なる場合は部活動が優先だが、そのような例はほとんどなく、双方のすみ分けが支障なく進められている。
3年生20人、2年生16人、1年生12人がクラブ員。部活動だけという生徒も数人おり、クラブ入会は自由意思。以前は野球部以外の運動部の生徒も入っていたという。
会費は半年で7000円。日曜日でも中学校のグラウンドを半日使え、残る半日はチームが整備した下水処理場のグラウンドを利用する。費用負担を抑えるため、ユニホームも同じものを着用している。
部活動の指導者不足が全国的に指摘される中、豊橋市内の22の中学校では各競技で地域クラブとの連携が進む。「部活動衰退」からの脱皮を目指す注目の取り組みだ。【滝口隆司】=つづく
毎日新聞 2008年5月29日 東京朝刊
最近、私立の中高一貫校で硬式野球部設立の動きが目立つ。
徳島市にある生光学園は幼稚園から高校までの一貫教育を掲げる私立校だ。その中学校に06年春、硬式野球部ができた。3年目を迎えた今春、ヤングリーグで全日本大会に初出場を果たした。
監督は元巨人の平田薫さん(54)。中畑清さんや二宮至さんと駒大から入団、「駒大三羽ガラス」と呼ばれた。88年に引退後、故郷の香川県坂出市で会社勤めをしていたところ「中学に硬式野球部を作る。会社を辞めて来てほしい」と声が掛かった。
誘ったのは生光学園の市原清・中学高校長。平田さんの駒大野球部の1年先輩で、高校の野球部監督を長く務め、04年校長に。そこで長年温めていた計画に着手する。「中高一貫で野球部を強化する」というものだ。
校長になった時、中学の全校生徒は30人ほど。軟式野球部も休部状態だった。しかし、「他の中学校でも軟式野球部ではなく、地域の硬式クラブに入る子が増えている。必ずニーズはある」との読みがあった。職員に招いた平田さんには少年野球教室や合同練習会を開いてもらって生徒集めをした。
平田さんは言う。「1年目は6人しか集まらず、練習しかできなかった。でも、2年目は19人、今年は14人が入ってきた。中学から硬式でやっていれば変な癖がつかない。この生徒たちが将来、高校の中心選手に育ってくれれば」。今や39人の所帯。全校生徒67人のうち、半数以上を野球部員が占める。
約70人の部員がいる高校は常に県大会の上位に食い込むものの、まだ甲子園出場を果たしていない。部員の大半は県外生。市原校長は「ウチを専願で受験した部員は特待生です。それでも寮費と施設充実費は払ってもらっています」という。
中学野球部員も全員特待生だ。県外生はおらず、払うのは基本的に施設充実費の月額約1万6000円。入学金、授業料は免除され、遠征も学校のバスを使う。部費は同3000円に過ぎない。「経営的にはぎりぎり。でも、学園を活性化させるのは野球しかない」と市原校長。全高校生に占める私立高校就学者の割合で徳島県は4・6%と全国最下位。公立志向は高く、私立の経営は厳しい。県内の私立3高校のうち、硬式野球部があるのは生光学園だけだ。
中学の練習場所は高校のグラウンドの左翼後方にある。午後3時半からの練習は活気に満ちている。少し遅れて3年生が出てきた。平田監督は「3年は7時間授業。勉強もしっかりやらせています」と言った。【滝口隆司】
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中学野球が模索している。学校の部活動か地域のクラブか。硬式か軟式か。それとも別の環境か。第5部では、多様化する中学年代の現場を訪ねる。=つづく
毎日新聞 2008年5月28日 東京朝刊
軟球と同じゴム素材ながら硬球並みの重さ。全国各地に連盟が設立され、中学年代で広がりを見せているKボールの全国大会で昨夏、「新潟アルビレックス」が準優勝した。新潟ではサッカー、バスケット、陸上、スキー、野球、チアリーディングと六つの競技が「アルビレックス」の名称のもと、総合型クラブとして活動しており、地元の中学球児もクラブの支援を受けて大会に出場した。
正式名は「新潟アルビレックスKBユース」。メンバーは中学3年の夏までは自分の中学校の軟式野球部に所属。最後の大会が終わった後、セレクションを通じて県選抜が編成され、Kボールの全国大会に臨む。2年前までは「新潟クラブ」として全国大会に出場していたが、昨年から名称を変えた。
きっかけは昨年、北信越で始まった野球の独立リーグ「BCリーグ」だ。新潟では初のプロ野球チームとして「新潟アルビレックスBC」が発足。地域への浸透を目指すチームに、Kボールの県選抜編成に携わる中学の教員が支援を求めた。
新潟県中学校体育連盟で軟式野球専門部長を務める長岡東中学の石川智雄教諭(44)が振り返る。「伊豆で開かれる夏の全国大会に出場すると1人7万〜8万円かかり、すべて選手の自己負担。秋にも東京で全国大会があり、また費用がかかる。そこで、『アルビレックス』を名乗る代わりに何か援助してもらえないかと掛け合った」。アルビレックスも野球チームをつくったばかり。多くの支援を望むのは難しかったが、遠征バスの貸与や帽子の提供を受けることに。ユニホームは球団と関係のある長岡市内のメーカーに寄付してもらった。
石川教諭は言う。「野球の普及、競技力向上、人間育成。私たち中学野球とアルビレックスの目指すところは同じだと思った」。2年目となる今年も同様の支援を受けることが決まっている。そして、アルビレックスには普及部ができた。
昨年限りで現役を退き、今年から普及部でKBユースを担当する伊藤健さん(25)は「中学生が地元の球団にあこがれを持ってくれれば、ありがたい。新潟では実力のある中学生が県外に出ていくことも多い。『地元愛』を育てて新潟の野球を底上げしたい。数年後にはサッカーのように、本格的なユースのシステムを作り上げたい」と話す。
昨年はBCリーグの試合時のセレモニーで、全国大会に臨むKBユースの選手たちがファンに紹介された。まだ正式な下部組織ではないものの、「アルビレックス」の名を背負い、年代を超えた一体感が芽生えつつあるようだ。【滝口隆司】=つづく
毎日新聞 2008年5月30日 東京朝刊
大阪の中学校では、準硬式野球が約60年間も続けられている。全国唯一といわれ、現在は約80校が大阪中学校体育連盟に加盟しているが、かつては200校以上の中学校に準硬式野球部があった。
旧制中学では硬球が用いられていた。戦後の新制中学ではどんな球を使うかが問題になった。そんな時、内外ゴムが準硬式の球を開発。表面は軟式と同じゴム素材ながら内部には硬式のようにコルクが詰められ、糸が巻かれている。打球音やバウンドも硬式に近い。軟式以上に本格的な感触を味わえることもあり、野球熱の高い大阪を中心に広まった。
1950年から始まった大阪中学校優勝大会は、プロ野球選手を輩出してきた。浪商高で甲子園を沸かせた元中日の牛島和彦さん(大東市立四条中)や元ダイエーの香川伸行さん(大体大付中)。巨人から大リーグに挑戦し、引退表明した桑田真澄投手と広島や巨人で活躍した西山秀二捕手は八尾市立大正中でバッテリーを組んでいた。阪神の岡田彰布監督も明星中で準硬式野球部だった。
準硬式野球の指導歴36年、大阪中体連でも準硬式野球部長を務めた豊中十三中の為沢保教諭(59)は「かつては近畿各府県の中学校に準硬式の野球部があり、近畿大会も行われていた。昔はレベルも高かったが、今は野球を本格的にやりたい子はおカネを出して地域の硬式クラブに行く。準硬式は危険だといって、軟式野球部に変わる学校も増えている」と打ち明ける。
枚方市内では市内16校の準硬式野球部が軟式に切り替わった。市教委は「05年度に方針を決定し、昨年度から全面実施となった。準硬式は事故の報告が多く、医師の意見も聞きながら校長会が軟式への切り替えを決めた。軟式の方が加盟校も多く、試合の機会も多くなるという判断もあった」と説明する。
打撃練習をソフトボールで行うなど、準硬式野球部のある各校は事故防止に工夫している。しかし、教育現場での安全管理は厳しく、準硬式を「危険視」する関係者も多い。
一方で、準硬式と同様に危険の多い硬式では、リトルシニアやボーイズリーグで地域クラブが増え続けている。
「逆風が吹いています。今は事故が起きるとすぐにやめようという風潮になる。でも、準硬式は硬式に近い感覚で野球ができて安価です。我々は安全に気を付けながら続けていくしかない」
そう語る為沢教諭は同僚の上村和功教諭(59)の協力を得て昨年、中学準硬式のホームページを開設した。来年は第60回記念大会。希少な存在となった準硬式を少しでも広めたいとの思いは強い。【滝口隆司】=つづく
毎日新聞 2008年6月1日 東京朝刊
中学硬式野球のナンバーワンを決める初の全国大会が昨夏、開催された。「第1回全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップ」。日本野球連盟や読売巨人軍が主催し、東京ドームを主会場にシニアやボーイズなど硬式7団体の32チームが出場した。
関西ではタイガースカップやバファローズカップ、九州ではホークスカップがある。中学硬式野球の各団体を束ねる大会をプロ球団主催で行うケースが増え、昨夏はリーグの垣根を越えて初めて日本代表が編成された。
ジャイアンツカップの初代王者となったのは堺市を拠点とするジュニアホークス(ボーイズ所属)。南海ホークス(現ソフトバンク)の監督を務めた故・鶴岡一人氏の呼び掛けで1967年に設立され、プロ選手を輩出してきた。
一昨年秋には甲子園で行われたタイガースカップに出場した。「ネット裏を見て驚いた。高校関係者がずらりと並んでいて、選手の品評会じゃないか、とさえ思った」と監督を務めた坂本清治さん(38)。試合が終わると次々と高校の監督が名刺を手にあいさつにやって来た。その数20〜30校。全員の顔は覚えきれなかった。
大会後、インターネットの掲示板には選手の進学先を予想する匿名情報が書き込まれ、チーム内でさまざまなうわさが広まった。坂本さんは保護者を集めて「憶測で物を言うのはやめてほしい。子どもたちが違うところを見て野球をやっている」と諭した。
硬式野球のトップを競う大会が始まったことで「リーグ間の輪が広がり、情報交換が進めば中学野球はもっとレベルアップする」と日本代表監督も務めた坂本さんは強調する。しかし、大会が有力選手を品定めする「ショーケース」になっているのも事実だ。
今春、坂本さんは主力選手の進学をめぐるいざこざに嫌気が差して監督を辞任した。インターネットには「監督自らがブローカーか」とまで書き込まれた。「天地神明に誓ってそんなことはしていない。ネットを見た時はさみしかった。指導者として積み上げてきたものが一つの文章ですべて崩された」
高校野球の特待制度問題は、中学球児の進学のあり方に疑問を投げ掛けた。全国トップレベルの中学野球。優秀な選手を抱えるからこそ、指導者の悩みも尽きない。高校の勧誘、選手や保護者の希望、ネット上に飛び交う匿名情報。
「中学野球には何が必要か。他の競技に比べて何かズレているのか。しっかり勉強してみたい」
現場を離れた日本一監督は今、他の中学スポーツを見て回ろうと考えている。【滝口隆司】=おわり
毎日新聞 2008年6月2日 東京朝刊